2017年9月12日火曜日

平成29年9月11日(月) 晴れのち曇り

6時15分起床。わずかな差なのだが6時半のラジオ体操が始まってから起きると何かと気ぜわしい。この15分が大きいのだ。ホットコーヒーを淹れてくる。


BGMを流してブログにかかる。


リラックスするなあ(笑)。ブログを更新して玄関先のメールボックスまで行って新聞の休刊日に気づく。リビングで昨日入っていたテレビ欄とシェイク。今日のシェイクは豆乳に冷凍パインを少々加えプロテインのフルーツ味をミキサーにかけたもの。


タマゴは先に茹でてある。支度して『ひよっこ』を観てから出勤。
(・・・・・・仕事中・・・・・・)17時勤務終了。

帰宅して大相撲中継を観る。四横綱のうち三横綱が休場で冴えない場所になったが、場所が進めば盛り上がる話題は何かしら出てくるもので、若手の小兵「宇良」などは楽しみな力士である。

相撲が終わってシャワーを浴びてニュースを観ながら晩酌。


先日取りあげた五木寛之『玄冬の門』(KKベスト新書)を読み返していて五木氏が取り上げていたエピソードが心に残った。

以下引用

ある方が歌舞伎役者の四世沢村源之助のお宅を訪ねると、ずいぶん身綺麗にして、きちんと片付いた清潔な部屋で応対されたので「ずいぶんきれいにしていらっしゃるんですね」と言ったら、その歌舞伎役者が「ただでさえ年寄りはきたないものですから」と言われたという。 中略

「ただでさえ汚いものですから」と言われると、やはり、若い人たちが多くいるスターバックスなどのカフェに顔を出すにしても、それなりに身綺麗にして行かないと、みんなから嫌がられるんじゃないか、と気になる。そういう意味では、年寄りはなかなか気を遣わなければならない一面はあります。

それにしても、この歌舞伎役者の言われた「ただでさえ」というのはこたえました。

犬でも老犬を見ているとグダグダです。毛は抜け放題で、目やにを流しているし、人もやっぱりそういうものなんだと思いますね。

引用終わり

この本の内容を借りるならば、私はまだ「玄冬」には至らず「白秋」の終わり頃であろうと思う。しかしこの「身綺麗に」という言葉は社会の一員として暮らす以上無視できない言葉である。特別なお洒落をするだとか、無理に若ぶった格好をするとかということではない。白いシャツなら襟が汚れてないものを、シワが寄ってないものを、といったひと言で言えば「こざっぱり」したものだろうと思う。

2025年には65歳以上が三人に一人に達する。自意識過剰になる必要はないが、街を歩いていてもどうせ年寄りの私のことなど誰も見ていないから服装などどうでもよい、と考える人ばかりになれば、その思いが集約された光景はあまり想像したくない。

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