2018年1月22日月曜日

平成30年1月21日(日) 晴れ

8時まで寝ていた。今日は日曜日であることを確かめて(笑)リビングでコーヒーと新聞。


部屋に戻りジャズボーカルを流してブログの更新。


午後になりずっと家に閉じこもっているのはよろしくなかろうと気分転換に野川散歩に出る。暖かい。公園で遊んでいる中学生とおぼしき数人のうち二人は半袖のTシャツだ。

天文台通りを下って


野川に出て


榛沢橋(はんざわばし)で折り返す。


ハケの歩道にまわり天文台の構内を抜けて帰るのがひと筆書きコースなのだが距離は似たようなものだ。

今、私はひとりでいること=孤独が多い。これは自分が好んでそうしているのもあり寂しくはない。ある意味「ひとりでいられる能力」だと思っている。

それは還暦を迎える以前は、社会的なルールに根ざしていた人生観だったが、近頃は生命的なルールに根ざしたものに軸足を移しつつあるからだ。歳を取って若さだけでやってきた体力に翳りを感じ、これまでの人生を振り返るようになって、今まで自分の拠り所としていた社会規範と対峙するようになってきたのだ。

それは死という人生最大の出来事を意識するようになったせいかもしれない。

それには自分と向き合う孤独である時間が必要なのだ。思春期にアイデンティティ(自己同一性)を得るには自分と向き合う孤独が必要なのと同じで、高齢者には誰も代わってくれない緩やかに衰えゆく自分を受け入れる孤独が必要なのだ。

私は加齢を悲観しているのでも嘆いているのではない。生きていれば誰にも例外なくやってくる「老い」に対して無理な抵抗はしないで、装飾物をそぎ落としたこれからの人生を過ごすには考え方のものさしをを替えてみようと思ったのである。

今は情報が溢れていて90歳を越えても生き生きとした人生を送られている諸先輩の生き方を見ることができる。自分は人がなりたいような年寄りになれるだろうか。

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